どうしようもない頭痛と吐き気に
意識を引きずり出されたような気がした。
……ここは、どこ?
ウィンリィはゆっくりと目を開く。
四肢が重く、動かしにくい。
徐々に開けてくる視界を見て留めながら、
ウィンリィは重たい思考をゆるゆると巡らせ始める。
つい先ほどまで、エドワードと一緒にいたはずだ。
明瞭とはいえない視界に瞳をめぐらせても、
彼の姿を捉えることは出来なかった。
墨を流したような漆黒の闇は、
潜めた息をゆっくりと漏らすようにゆらゆらと揺れながら、
グラデーションを描くように徐々にその黒を淡い橙へと薄めていく。
ぐるりと視界の左から右へと
視線を移動させたウィンリィは、
どこか見知らぬ部屋にいるということをようやく認知していた。
橙色の光に照らされて、
浮かび上がるのは、赤茶けた煉瓦を敷き詰められた壁だった。
壁は円筒状に天井へと伸びて、
ゆるやかな漆黒色に溶けていく。
漆黒の先には、ぽっかりと口をあけた、
丸い天窓が見えた。
ひどく天井が高い、とウィンリィはぼんやりそう考える。
煙突の底にでもいるような気分だった。
目の前に、親指と人差し指を丸めて作った輪をかざしてみたとしても、
漆黒の向こうにぽかんと口を開けているあの窓の小ささにはかなわないだろう。
窓の向こうに見える群青色が、
夜空と星明りなのだと、ウィンリィはようやく悟る。
闇を橙色に溶かしている元は、
床に敷き詰めるようにして並べられている無数の蝋燭の光だった。
…身体が、動かない。
徐々に戻りつつある意識の中で、
ひやりとしたものが背中を伝った気がした。
そこでようやく、
ウィンリィは自分が大の字になって寝かされているのだと気付く。
両手両足に、自由は無い。
背中に走る感触はひどく硬い。
ここはどこなのだ、と
ウィンリィは首だけをもたげて、辺りを見回した。
自由になるのは首だけだった。
蝋燭が敷き詰められた床よりもいくらか高いところに、
自分が拘束されていることをウィンリィは確認する。
……ああ、どうして?
声は上げなかった。
白く思考が焼けそうになるのを覚えながら、
それでも自分を叱咤する。
確かに、先ほどまでエドワードと一緒だったはずなのだ。
鉛のように重い静寂が横たわっているその部屋の中で、
蝋燭だけが無心に揺れているというその光景は異様だった。
そして、何度確認しても、
そこにエドワードの姿は確認出来ない。
どこではぐれたのだ、とウィンリィは混乱の色が濃厚になりはじめた
自分の思考を落ち着かせようと、
先ほどまでの記憶を反芻する。
確かに、エドワードと一緒にいた。
あのとき、エドワードの錬金術で、
自分達の床にぽっかりと穴が開いたのだ。
そこまで分かった。
しかし、そのあとの記憶が無い。
手を握っていたはずなのに。
ウィンリィは、自由にならない手を恨めしく思いながら
青い瞳を苦く歪ませる。
手を握っていた。
離れないように。離さないように。
なのに、手放してしまったのだ。
ああ、そうだ、とウィンリィは思い至る。
落下の最中に、何かに引き剥がされるような
嫌な感覚を覚えていた。
彼の手を手放したのは、きっとその時だった。
抵抗を許さない、圧倒的な力が、
手を剥がした。
助けて、という声を出す間もなかった。
記憶はぷつりと、そこで途切れていた。
……エドはどこ。
ここはどこ。
どうしてあたしはこんな所でこんな格好で縛られているの。
分からないことが不安で、
思考がぐちゃぐちゃになっていく。
しかし、ウィンリィは泣かなかった。
泣きたかったが、泣かなかった。
不意に気配を感じて、
ウィンリィは首をもたげる。
気配を覚えた方向へ視線をめぐらせれば、
そこに見慣れた人影がある。
ああ、そうだった、とウィンリィは
内心諦めにも似た絶望を覚えていた。
エドワードと共に追われたのは、牢を抜け出したからだ。
牢に入れられたのは、あれを見たから。
そこに、漆黒の髪と紅い瞳をたたえた女が立っている。
どうしてまたその格好なのだろうと
ウィンリィはまじまじとその女を見上げた。
つい昨日見た彼女は、
確か金髪碧眼に白い肢体を、月明かりをたたえた泉に浸していたはずなのに。
「……エレーナ」
身体に震えが走っていた。
それでも、ウィンリィは青い瞳を真っ直ぐにその濁った紅瞳に向ける。
絶望を込めながら呼んだ名前に、
目の前の女は答えようとはしない。
Copyright(c) 2006 karuna all rights reserved.