42.お互い様
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ヤサシイ方程式-6(最終回)



「二人して何してるんだか」

ピナコが切った林檎の切れ端を、エドワードは要らないとつきかえした。
やれやれ、と呆れたような声をあげるのはアルフォンスだ。
それに対して、うるせーな、という弱弱しい声が返ってくる。
シーツから顔をのぞかせるのは、
はれぼったい目を弱々しく瞬かせながら、わずかに赤く蒸気した頬を
不満げに膨らませるエドワードだった。
「せっかく治ったっていうのに、ぶりかえして」
風邪、ぶり返したんじゃないの?というアルフォンスに対して、
エドワードはそうかもな、と言葉を返す。
そして、迷うように金色の瞳を少しめぐらせてから、
エドワードはなんでもないという風に弟に尋ねた。

「……ウィンリィは?」
「割と大丈夫みたいだけど。」
あ、でもまだダルそうだなぁ、とアルフォンスは付け加えてから、
ふぅん…と相槌を打ったきり、天井を睨むようにして黙りこくった兄をちらりと見た。
「どうか、した?」
これに対しては、別に、という言葉が短く返ってきた。
アルフォンスが、なんとなくベッド脇から兄を見下ろしていると、
間が悪くなったのか、エドワードはぽそっと呟く。
「……治りそうなら、まぁ、いい」
何があったんだか、と思いつつも、アルフォンスは何も言わずに
ピナコから借りてきた体温計を兄の口に差し込む。

「とにかく。おとなしくしてね、兄さん」
体温計をくわえたままの口で言葉になっていない返事をする兄を確認してから、
アルフォンスは部屋の外へと出る。





「二人して何してるんだか」

あ、これはさっき兄にも言ったなぁと思いながらも、
アルフォンスは言葉を訂正はしない。
アルフォンスの鎧の手には丸い銀色のトレイがひとつ。
その中にはピナコが食べるように、と剥いた林檎の切れ端が丸々ひとつ分並んでいる。

対してベッドの上で上半身のみを起こしたウィンリィは
困ったようにあはは…と力なく笑うのみだ。
気分はどう、というアルフォンスに対して、もう大丈夫だよ、とウィンリィは笑う。
「そう言って。兄さんもだけど、ウィンリィも。
……無理しちゃ駄目だよ」
分かってるって、とウィンリィは微笑みながら頷いて、
ふと何かを思い返したようにその笑みを顔からふっと消す。
そして、思いついたようにぽそっと小さくウィンリィは呟いた。
「………たぶん、うつしちゃったから。」
「え?」
聞き返したアルフォンスに、ウィンリィはなんでもないよ、という風に慌てて両手を振る。
「あ、いや。違う…その…」
アルフォンスは首をかしげて、なんなのさ、ハッキリしないなぁ、と言葉を落とす。
そんなアルフォンスに対して、
ウィンリィは困ったような笑顔を浮かべる。

「…だってね」
アルフォンスから林檎の切れ端を手渡され、
それを受け取りながらウィンリィは言葉を続けた。
「あいつって」
「うん」
「ほんと、…ワガママなんだもん」
そうぽつんと言ってから、ウィンリィは渡された林檎をしゃくっとかじる。
それを脇から見ていたアルフォンスは、
唐突にくすくすと鎧の中から笑いを漏らした。

「…な、なによ…」
あたし、何かおかしなこと言った?とウィンリィは困ったように眉をしかめて、
アルフォンスを見上げる。

「…同じこと、言ってる」
「え?」

ウィンリィはぽかんとして、アルフォンスの言葉を待った。

「兄さんも。同じこと言ってた。」
何かあったの?とごくごく軽い調子でアルフォンスは訊いた。
しかし、ウィンリィはアルフォンスの言葉に言葉を返せないでいる。
…同じこと?あたしと、あいつが?

一瞬、言葉を失ったウィンリィは、我に返り、
慌てたように林檎をもうひとつかじる。
頭の中では、今のアルフォンスの言葉を咀嚼しながら。

「気になる?」
アルフォンスはウィンリィの様子を伺って、何かあったんだな、と思いいたるが、
それ以上のことは詮索しない。

「え」
ウィンリィは慌てたように、そりゃあまぁ、あたしがうつしたかもしれないしね、と
早口で言葉を返す。
しかし、自分で言った言葉に、なぜかウィンリィの顔がみるみる赤くなっていくのを見て、
アルフォンスはため息をつく。
そして、ウィンリィに林檎の入ったトレイを押し付ける。

「これ。持って行ってよ。
…僕が言っても食べてくれないんだよね」

ウィンリィの部屋を立ち去る間際に、アルフォンスは付け加えるように言葉を投げた。

「…その顔も。
兄さんも同じ顔してた。」

扉の閉まる音だけが部屋に響いた。
取り残されたウィンリィの顔は、林檎のように赤い。





「……これで、文句、ねぇだろ」

部屋に入れば、不機嫌そうな擦れ声が落ちてきた。
ベッドの上でシーツにくるまる彼は、
ウィンリィが入ってきたのを見て体を起こす。
口には、体温計をくわえたままだ。

ウィンリィはトレイを手に持ったまま、
彼の横たわるベッドまで近づく。
ぎしりとひとつ、スプリングをきしませて、
エドワードのすぐ側に腰をかける。

「アルが。食べてって。」
「いらねぇ…」
そっけない即答が返ってくる。
むっとして、ウィンリィはわずかに眉をつりあげる。
食べなさいよ、と身体を乗り出せば、
寄るな、とでも言いたげにエドワードの制止の手が二人の間に割って入る。

「また、うつすかも」

擦れた声が、そう言った。
うつらないわよ、とウィンリィは言ったが、
エドワードは違う、と首を振る。

「そういう、意味じゃ、無い」

熱っぽく充血した目は、
それでも金色の色味を失わずにウィンリィを真っ直ぐに見つめてくる。

ウィンリィは、乗り出した体を少しだけ引いて、
持っていた林檎のプレートを、膝の上にのせる。


「………忘れて」

少しの沈黙の後に、ぽつんと口火を切ったのはウィンリィのほうだった。
俯き加減のウィンリィの視線は、不安定に林檎に注がれゆらゆらと揺れている。
間近で、それをエドワードは見つめた。

「熱でおかしかったの。だから」

ほどなくしてエドワードは頷く。

「ああ」
それを訊いて、ウィンリィは、わずかに表情をこわばらせた。
しかし、それ以上は動じた様子を見せない。

エドワードはそんな彼女をじっと見ながら、
忘れる、と静かに言った。

その言葉に、ウィンリィは軽い失望を覚えずにはいられない。
…そう。熱でおかしかったのだ。
お互いに。
それでも、焼きついた記憶から離れないのは、
目の前の彼が昨日何度も囁いたあの言葉だ。
こんなに側にいて、何度も肌を合わせて、
手に入れたと思ったのに。

それでもいい、とウィンリィは自分をなだめるように
力なくその彼の頷いた言葉を受け入れようとした。
嘘でもいい。一度でも、与えてもらったから。答えを。


「で?」

しかし、エドワードの言葉はそこで終わらなかった。

「お前は、忘れられるわけ?」

擦れた声が、そう言った。


ウィンリィはゆっくりと顔をあげた。
そうしてゆっくりと、エドワードの方を見返す。
金色の瞳が、確信を得ているように力強く自分を射る。


忘れられる?
ウィンリィの中に生まれるのは、たったひとつの答え。




「……あんたは、…どうなの、よ」
「…たぶん、お前と同じ」
「ずるい」
「なんで」
ウィンリィは唇をわずかに震わせながら、
エドワードを睨んだ。

「あたしは、まだ何も言ってない」
そうか?とエドワードは少しばかり首をかしげる。

「じゃあ、オレの勘違い?」
「……」

エドワードは体温計を口から出す。
ベッド脇に遠慮がちに座っていたウィンリィのほうへ、
不意に手を伸ばした。
シーツの上に軽く置かれた彼女の手に、手を伸ばす。

約束を、お互いにはしない。
そういったことを口にも出さない。
たぶん、きっとこれからも、出すことは無い。
それでも、昨日交わした答えは、忘れられるわけが無い。


「忘れる」
エドワードはウィンリィの指に自分の指を絡める。
「でも、忘れない」

どっちなのよ、と問うウィンリィの目には、また潤み始めている。

「それを知っているのは、お前のほうだろ」


お互いに、わけのわからないことを言い合っている。
雲でも掴むような、抽象な言葉を謎かけのように投げ合って。
熱があるのかもしれない。また。
ウィンリィは涙が溢れてくるのを止められなかった。
きっと、お互いに、熱がある。
そう言い訳でもしないと、耐えられない気がした。


彼の手がそろりと自分の顔のほうへと寄せられて、
ウィンリィは思わず目を閉じる。
熱っぽい唇が落とされて、それはじんわりと伝わる。

答えはいつもひとつで、シンプルで。
だけれども、それを伝える方式がいつも難しい。
それでも。
潤んだ視界の中で繋がっているのは、自分の手と彼の手。
自分の指を絡めとるようにして握り返してくる彼の手はやさしくて。
だから、それが、ヤサシイ。

唇を離してから、ウィンリィは静かに、もう一度、と言った。
これ以上はうつるから、とエドワードは低く言った。
また責任とるなんて言い出されたら、今度こそ身がもたない、
なんてことをこっそりと思いながら。

ウィンリィは、小さく言葉を囁く。

「お願い」


…言えないのなら、せめて。

エドワードは少しだけ目を丸くする。
…わざとやってるのか?

ひとつ息をついてから、
エドワードは小さく、目を閉じて?と言った。
そう、オレはこいつのこれに弱い。そう、思いながら。

ゆっくりと顔を近づければ、
潤んだような彼女の瞳が緩やかに閉じられていく。
それを見つめながら、ただひたすらに思うことは。


…この感情に、名前をつけるとしたら何がいい。


答えを。

言えない代わりに全てを唇にのせて。
そう、伝える方式はいくつかあっても答えはヤサシイ。


ベッドがわずかに音をたてて軋んだ。
身を乗り出したウィンリィの膝から、林檎の切れ端が零れるように床に滑る。
それにも構わず、ただただ二人して、
やさしい、やさしいキスをした。



(fin)



2005.5.29
→ヤサシイ方程式、連載終了です。
今までお付き合いくださいまして有難う御座いました。



管理人のくだらない後書きはコチラです。興味のあるお方だけどうぞ。




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