吐き出されるように汽車から降り立てば、
そこは、ようやく目になじむようになってきた街だ。
エドワードは左手で荷物をもって、
押し出されるように改札口を出る。
「あ、エド!」
と声をかけられて振り向けば、
最近知り合った同じ年頃の少年がひとり。
「帰ってきたんだな〜!」
眩しいくらいに無邪気な笑顔を向けられて、
ストンと何かが音を立てて積もる。
しかし、それを微塵も表には出さずに、
エドワードは笑い返す。
「おう。帰ってきたぜ。」
この世界に来てだいぶ時が流れた。
父親であるホーエンハイムとの同居生活にもエドワードはすぐになじんだし、
父親とともに住むこの街にもすぐに馴れた。
顔見知り程度に友人は何人か持ったけれども、
あまり深い付き合いはしなかった。
エドワードの興味は一つだけだった。
元の世界には、どうやったら戻れるのか?
ただそれだけ。
往来を歩きながら彷徨う視線が捕らえたのは、
目の覚めるような真っ赤なリンゴだ。
なんとなくエドワードは近寄って、義手の手を伸ばす。
一つ手にとって顔にかざせば、つんとした甘酸っぱい匂いが脳髄まで届く。
「おばさ〜ん。このりんご、貰える?」
「誰がなんだって〜?」
応対に出たその女の反応が予想通りで、エドワードは苦笑いを浮かべる。
「また間違えた…。……おねーさん。りんご、もらえマスカ?」
30代前半くらいのその女はにっと笑顔を浮かべる。
受け取った硬貨と入れ替わりに、
リンゴの入った包みを手渡しながら、
女ははじけるような明るさで言ってくれた。
「お帰り!エド!」
その言葉に応答する言葉を答えようとして、その声は途中でつかえる。
「……あ、ありがと。」
不自然な受け答えに動じるわけでもなく、
女は世間話のようなノリでエドワードに話しかける。
「なんか難しい勉強してるんだって?」
「うーん…そうでもないケド。」
「そうかい?博士がさっきまで嬉しそうに色々話してくれたんだけどね…」
あたしには難しすぎてさっぱりだったよ、と女は笑う。
……何を言ったんだ、あの親父!
と思いつつも、エドワードはそれは表に出さず、
「……気をつけたほうがいいですヨ。
あいつ、ああ見えて女癖悪いから」
と余計なお世話かもしれない忠告をした。
しかし、やだねぇマセガキは!と女はカラカラと笑うだけだった。
ため息をひとつついて、エドワードは店を離れる。
左手には旅行鞄を持ち、
そして右の義手にはリンゴが入った紙袋を抱える。
ふんわりとかすかにリンゴの香りが鼻をくすぐる。
それに気分が高揚するのを感じながら、エドワードは空を見上げる。
建物に挟まれるようにして覗く空は、どこまでも青い。
そして、どこまでも、あの世界の空と同じ色をしていた。
「たっけぇな〜。空。」
何かをごまかすかのように、エドワードは独り言を呟く。
石畳の往路を靴音を立てて歩く。
人通りの多い街路を迂回するように裏通りへ回れば、
すぐそこに自分と父親が住む家がある。
こつこつと靴音を立てて進みながら、
時折自分を襲う感覚をエドワードは確かめるようになぞっていた。
それはいけないことなのかもしれない。
でも、時々、不意に思ってしまうのだ。
……今、自分が立っている世界は、全て夢なのではないか?と。
もしかしたら、これは夢で、
何かの拍子に全て醒めてしまうのではないか?と。
たとえば、目の前の扉を開けたとき、
全てが実は自分の意識が作り出した幻だと分かるのではないか?
リンゴを持つ手を持ち替えて、エドワードは扉に手をかける。
現実は分かりきっているのに、何度も確かめたのに、
それでもどうしても疑いたくなる。そして、必ず裏切られるんだ。
「お帰り、エドワード。」
あの世界では絶対にありえなかった現実が、ここにはあった。
迎える自分の父親をエドワードは不思議なものでも見るような目で見上げる。
「どうした?」
ホーエンハイムは突っ立ったまま動かない息子に首をかしげた。
「い、いや…。」
その「言葉」を言いかけて、エドワードはやはり唇の動きを止める。
「どうだった?何か収穫はあったか。」
父の問いにエドワードは首をすくめた。
「ぜんぜん、だな。」
ホーエンハイムは難しい表情を浮かべた。
「そうか……。」
それを見ながら、エドワードはまたも首をすくめる。
「まぁ、なんとかするよ。
他にもアテがないわけじゃないし。」
コートを脱いで、
エドワードはリンゴの入った袋を抱えて、居間に入る。
開け放たれた窓辺に腰掛けて、
がさごそと袋を開ける。
袋に手を突っ込みながら、エドワードの視線は窓の外に向けられる。
「……ホント、ごみごみしてんだよなぁ、ココ。」
…あの村とは、大違いだ。
違わないのは……。
「なぁ、エドワード。」
「ん〜?」
いつの間にかすぐ側に立っていた父親を、
エドワードはくるりと振り返った。
前から気になってたんだけどな、とホーエンハイムは躊躇うように口を開く。
「お前の家はここなんだから、お帰りって言われたら普通に返していいんだぞ。」
エドワードは黙って、めがねの奥にひそむ父親の目を覗き込むように
しげしげと観察する。
「別に、気兼ねしなくていいんだ。」
「ん……」
エドワードは目を伏せる。
……弟を錬成しようとした。
成功したかどうかも分からない。
気がついたら、この世界に来ていた。
何もかもやりっぱなしで、中途半端で、全部置いてきた。
やらなきゃいけないことがいっぱいある。
いっぱい、残ってる。いっぱい残してきてしまった。
頭から離れないのは、
最後に別れた時に、列車の車上から見た「あいつ」の顔。
どうしようもなく、焼きついてる。
泣いてるような笑顔が、その次はくしゃっと崩れて、泣き顔になってる。
そういう夢ばかり見るんだ。
「別にそういうつもりじゃ…ないんだ。気兼ねとかじゃなくて。」
エドワードは笑おうとした。
しかし、なんだか顔がうまく言うことを聞いてくれない。
今回の旅行先ではあまりいい収穫はなかった。
このまま元の世界に戻れないまま、時間だけが虚しく流れていく。
早く帰りたい。あんな夢はもう、これ以上見たくない。
エドワードは紙袋からリンゴを一つ取り出す。
「リンゴ一個、高いのな〜。」
場を取り直すようにおどけて言ってみせたら、
ああ、とホーエンハイムは思い出したようにうなずく。
「インフレって言うんだ」
「知ってるよ。」
義手で持つのは無理だったので、
エドワードは左の掌にリンゴを一つのせる。
「親父ぃ〜。……アップルパイの作り方、知ってるか?」
「アップルパイ?」
エドワードの唐突な台詞に、ホーエンハイムはぽかんとする。
「いいや。知らなかったら、別に。」
変なやつだな、とホーエンハイムは少し肩をすくめて、
台所へと姿を消す。
「エドワード、アップルパイは無理だが今夜はどうする?」
声だけが投げてよこされて、
エドワードは気だるそうに窓にせもたれながら答える。
「んー……オレ、シチューがいいなー。」
そう言いつつ、エドワードの視線は眼下に広がるミュンヘンの街に注がれる。
「ホント、ごみごみした街だよな…。」
灰色の建物が窓の外一面に広がっている。
あの懐かしい村とは大違いだ。
しかし、その上から見下ろしているのは、目の覚めるような高い青空だった。
それだけは、あの村と一緒。
流れるような広い空の下できっと今日もいつも通り過ごしていると信じている、
彼女を思い出してみる。
…思い出してみたけど。
…参ったよなぁ、笑った顔が思い出せねぇ。
エドワードは困ったようにりんごを見ながら目を細めた。
あの夢のせいだ。
エドワードは掌にのせたりんご一つを見つめた。
あきらめたくなかった。
泣き顔は、いい加減、見飽きた。というよりも、見たくない。
リンゴを見つめながら、
エドワードの唇がそっと動く。
「 」
しかし、唇は音をつくらずに、ただ空を切る。
……せめて、言いたい。
戻ることができたら、真っ先に、彼女に、言いたい。
彼女の笑顔に向かって、言いたい。
それまでは、この言葉はとっておく。
いとおしそうにリンゴをみつめて、
エドワードはそれをしゃくっとかじった。
心地よい音とともに、甘酸っぱく瑞々しい味が広がる。
それは、ひどく、懐かしい味がした。
(fin.)
2004.11.10
…すんごくとりとめない話になりましたが…。い、いちおうエドウィンのつもり。アップルパイネタとか色々間違ってます。
(でも、アニメでもウィンリィってアップルパイ作ってなかった?)
関係ないですが、ホーエンハイムは家事とか普通にやってそうなイメージがするんですよね…。
なんで?あの女たらし(?)っぷりが影響しているのか…?いや、だとしても関係ない気が…;