*2011/6/26発行の本「未完な青色」サンプルです。
サンプルは全部で4ページ。
Chapter.2
六限目を知らせるチャイムが鳴ってもう数十分は経つ。教室の壁に掛かった古い壁時計が順調に秒針を刻んでいくのを見つめながら、頬杖をついた燐は何度目か知れないため息をついた。
教室の前の黒板には、白いチョークで大きく「自習」の文字が踊っている。いつもの授業ならば、自習と聴いて真っ先に大喜びするのは他でもない燐だった。祓魔師になる、と決意して祓魔塾に入ったものの、燐はどうしても座学を苦手としていたのだ。しかし今日は自習と聴いても素直に喜べない。
「奥村くーん」
唐突に名を呼ばれて、声の方を振り向く。
「元気ないな? どないしたん?」
特有の訛りを微塵も隠さずに、へらりと笑みを浮かべながら話しかけて来たのは志摩廉造だった。同じ祓魔塾で祓魔師を目指している、いわばクラスメートのようなものだ。
「そーか?」
元気ない、と言われ、初めて燐は自分が落ち込んでしまっていることに気づく。そういえば今日の夕飯は何にしよう? といつもなら考え始めている時間だ。寮の冷蔵庫には何が残ってたっけ? 弟の雪男が好みそうなメニューをひとつひとつ思い浮かべてはあーでもないこーでもない、あ、これにしよう! ……と雪男のために決めていくのは楽しい。ましてや自習時間ともなれば、いつも以上にのんびりじっくり考えられる。それなのに、今はそんな気分ではない。
「もしかして、若先生がいないせえやろか?」
「!」
志摩の言葉に燐はドキリとする。
「あ〜あ、図星やなあ?」
志摩はニンマリと破顔した。燐は目を丸くし呆然とクラスメートの顔を見る。若先生とは、燐の弟であり祓魔師でもある雪男のことだった。志摩はなぜか雪男のことをそう呼ぶのだ。
今日の六限目は、祓魔塾で悪魔薬学の授業の予定だった。しかし、雪男は来なかったのだ。黒板に踊る「自習」の文字に、燐はガッカリしていた。悪魔薬学が得意というわけではないが、他でもない雪男の授業だった。楽しみにしていないわけがない。
「べ、べ、別に……っ! そんなんじゃねーよッ!」
慌てて志摩の言葉を打ち消す。知らず知らずのうちに落ち込んでいた自分を、志摩に見透かされて燐はなぜか気恥ずかしかった。否定の言葉を口にしながら、しかし頬がゆるゆると熱く火照っていくのを感じて焦り始める。志摩の言う通り、悔しいが図星だったのだ。会えるはずの雪男と、会えなかった。理由がわからなかった。もちろん、祓魔塾の講師として、あるいは祓魔師として、何か急用ができたのだろう。燐にもそれ位は分かっている。しかし、頭で理解していても、どうにもならない感情がそこにあった。
「ふぅ〜ん?」
怪しいナァ、と言いたげな目つきで、志摩が燐の顔を覗き込む。
「なんだよ!」
顔をそれとわかるほどに赤らめながら、燐は慌てて前を向く。しかし、志摩の視線は痛く燐の背中に刺さり続ける。
「なんや? 何さわいどる?」
やはり訛りの強い別の声が降ってきて、あーもう! いちいちこいつらはつるみやがって! と燐は苦虫を潰すような思いで己の背後をちらりと伺った。声の主は、志摩とよくつるんでいる勝呂竜士のものだ。勝呂は、志摩と三輪子猫丸と三人で行動することが多い。今も、「自習」の指示に従って、志摩の隣に陣取って生真面目に悪魔薬学のテキストを読み込んでいる所だった。
「坊。実はなぁ〜奥村くんが……―」
「うわぁああああ! いちいち言うなって!」
顔を真っ赤にした燐は、思わず振り返って志摩の襟元に掴みかかる。対する志摩は、ニヤニヤと軽薄な笑顔を浮かべて燐を見つめてきた。挙動不審な小動物の観察が楽しくて楽しくてたまらない、とでも言いたげな表情だ。
「奥村くんが……―、肝試しに行きたいそうや」
「は?」