―――ピアスをあければ運命が変わる。
それに願い事ひとつだけ託して、
希望にも誓いにも似た約束をひとつ、左耳にあけたの。
その願いを守れるのなら、
あたしの唇はなんだって嘘をつけると思ってた。
だから、そのピアスを外している間だけ。
あたしは我侭になる。
「ホントは後悔してる。
……後ろめたい。あいつに対して、後ろめたい」
「あんたが泣いたあの日、初めてあんたを好きになったの」
「でもね、ウィンリィがボクの代わりに泣いて笑って怒ってくれるから、
ボクは生きてるんだって実感出来るんだよ」
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「言ってねぇよ」
案の定、彼の答えは簡潔だった。
「別に、言う必要、無いだろ」
それはそうだけど、とウィンリィは頷く。
エドワードの部屋の中で二人きりになっていた。エドワード達がセントラルにとっておいたホテルに、ウィンリィも泊まることになった。部屋は勿論別々にとったけれども、気を利かせたホテルの支配人がウィンリィの部屋をエドワード達の隣にしてくれたのだ。
調べ物がまだある、とアルフォンスは外出したままだ。エドワードとウィンリィはアルフォンスを抜きにして、早めの夕食を摂ったけれども、お互いに口数は少なかった。
最初はどちらからだったか。
ウィンリィはあまり覚えていない。エドワードは覚えているのだろうか。決定的だった感情とは裏腹に、それを促したきっかけの記憶はもうすでにアヤフヤなものに変わってしまっていた。それほどに曖昧で、しかし確信的だった情動。
ただ、「そのとき」のことは身体に赤く刻まれた跡のようによく記憶に残っている。
『ピアスを外した間だけ』
そう懇願したのだ。
『ピアスを外した間だけ、抱いて』
ウィンリィは人知れず息を小さく呑む。全部を鮮明に思い出しそうになって、慌てて思考を遮断する。今はそのときではない。
エドワードはごく自然に上着とズボンを脱いだ。足と腕のメンテナンスのためにと、ウィンリィは道具類の準備はきっちり揃えて持参してきている。それはアルフォンスに言われたからだった。エドワードの歩き方がオカシイから見に来て欲しいと。エドワードは弟がメンテを受けるようにと言う言葉を頑なに拒否したらしい。なぜなのかは分からないが。
だから電話を受けたウィンリィが、アルフォンスに頼まれ事を受けたという名目でわざわざセントラルまで来たのだ。ちょうどエドワード達がセントラルに二、三日ほど滞在すると聞いて、ちょうど都合が良かったということもあった。
「そこの椅子に、足のせて」
「ん」
ベッドに腰掛けたエドワードは、手前に配された椅子の上に、投げ出すように足を乗せる。
「……別になんともないみたいだけど」
彼の足元に膝をついて機械鎧を検分するウィンリィは首を傾げる。きまり悪い顔をするのはエドワードだった。
「……だから、言ったろ。壊してないって」
ウィンリィはしばらく考え込むように彼の足を見つめた後、あ、と顔をあげた。
「……足がギシギシすんだよ」
エドワードは不機嫌そうにそう言った。一瞬詰まったように息をひとつ置いてから、ようやく口にする。
「……身長伸びてるからな」
ウィンリィはため息をついた。
「だったらなおさらメンテが必要じゃない。なんですぐに来なかったのよ」
「うるせぇな」
ぽりぽりと頭を掻きながら、エドワードは面倒くさそうな顔をする。
「まだ大丈夫だって思ったんだよ」
「何が大丈夫よ。あんた、整備師ってわけでもないくせに、勝手に判断しないの」
「……」
「アルが不思議がってたのよ。なんであんなに整備を嫌がるのかって。アルに何度もメンテを薦められたんでしょ?」
何やってんのよ、とウィンリィはさらにもうひとつわざとらしくため息をついて、エドワードを見る。
「腕のほうは?」
「なんとも」
「本当に?」
ずいっと顔を近づけて、エドワードの顔色を見極めようとするウィンリィは、首を傾げる。
「本当に」
気が付けば、ひどく近いところに彼女の顔があるので、エドワードは思わず身を引こうとする。
「良かったじゃない。背が伸びて」
「そーだな」
素っ気無い返答に、ウィンリィは足の整備の手を止める。
「嬉しくないの? 豆じゃなくなるのに」
「……豆って言うな」
エドワードの反応は薄かった。何か機嫌が悪くなるようなことでもあったのだろうか、とウィンリィは首をひねりながら、作業を再開する。
部屋の中はウィンリィの手の動きに合わせるように、金属のこすれあう音が物静かに響いていた。エドワードは背後に手をつく格好でベッドに座って、黙々と作業を続行し始めたウィンリィの横顔をじっと見下ろした。
最初はどちらからだったか。
エドワードはあまり覚えていない。ウィンリィは覚えているのだろうか。決定的だった感情とは裏腹に、それを促したきっかけの記憶はもうすでにアヤフヤなものに変わってしまっていた。それほどに曖昧で、しかし確信的だった情動。
彼女を最初に抱いた時の記憶は、しかしエドワードはよく覚えていた。リゼンブールの彼女の部屋で。あれは、旅先から戻った時、メンテのついでだったように思う。まるで、機械鎧のメンテナンスの「続き」のように、決まってメンテナンスが終わってから、それはまるで儀式のように重ねられていた。
しかし、そのことを、弟であるアルフォンスに告げたことはない。
言っていないのね、と彼女は聴いてきた。答えは簡潔だった。言ってない。言う必要がない。……実際は、言いたくない。
「でも」
言う必要ないだろ、と言うエドワードの言葉に、ウィンリィは小さく言葉を返した。
「言う必要はないけど、でも、隠す必要もない、でしょ?」
「……」
図書館でのことを言っているのだと、エドワードはすぐに思い至った。アルフォンスが近づいてきたと分かって、咄嗟に彼女の手を離したのだ。
エドワードは何も答えなかった。答えられなかった。ウィンリィもそれ以上、何も言おうとしなかった。
整備は滞りなく終わって、ウィンリィは片づけをはじめ、エドワードは服を着る。
部屋の空気は重苦しいわけではなかったが、だからといって明るいわけでもなかった。エドワードは彼女に背を向けてシャツを着、ウィンリィもまたエドワードに背を向けて、床に広げた工具類を鞄の中にしまっていく。二人は無言のまま、まるでお互いの出方を探るように、ゆっくりとそれぞれの動作をなぞるようにこなす。
「次から違和感を感じたら、ちゃんと自分から来ること」
工具を片付け終えて、ウィンリィは着替えを終えてベッドの上に座っていたエドワードを振り向く。
「分かった?」
「ああ」
頷きながら、エドワードはひょろりと長い腕を伸ばす。
「分かった」
言いながら、ひしと掴んだのは、ウィンリィの右手首。
二人の視線が、無言のまま空中で噛み合う。
促されるように、ウィンリィはそろりと彼のほうに近づいた。
ベッドに腰掛ける彼のすぐ傍に身体を寄せて、抱き寄せられるままにエドワードの首に腕を回す。片膝だけベッドにのせると、ギシとスプリングが小さく軋んだ。
抱きしめたウィンリィのちょうど胸の辺りに、ベッドに座ったままのエドワードの顔がくる。彼女の服に顔を埋めるようにして腰の辺りにエドワードは両腕を回した。
「なんか、変な感じ」
エドワードの金髪の頭に鼻先を寄せながら、ウィンリィは小さく呟いた。
「なにが?」
ほ、と息をついて、彼女を抱き寄せたまま軽く目を閉じたエドワードは、真上から落ちてくる声に耳を傾ける。
「いつもと、違うし」
場所も時間も違う。居心地の悪い違和感を覚えて、ウィンリィはどこか落ち着かなかった。
「……そう、か?」
軽く身を離して、エドワードは上から覗き込んでくる彼女の瞳を見上げた。
いつもやっている「メンテナンス」。その「続き」。それには変わりはないはずだった。
身体を入れ替えるようにして、エドワードはウィンリィの身体をベッドの上に横たえる。ぎ、とベッドが軽く軋んで、寝転がったウィンリィの目の前には大きな影が立ちはだかる。
電気消して、と言う前に、彼のほうが早かった。ベッド脇にあるスイッチを手短に消してみせる。のしかかってきた影は、落ちた闇に一瞬溶けたが、それでもその存在感は消えることはない。暗がりの下で息が詰まるほど抱きしめられて、ウィンリィも答えるように彼の背中に腕を回す。
(あ)
ウィンリィはハタと思い出す。忘れ物がある。抱きしめてくるエドワードの胸に両手をあてて彼を押しとどめようとする。
「エド……待って……」
まだ、ピアスを外していない。
彼に言ったことはなかったが、抱かれる前に、ウィンリィは必ず左耳のピアスをひとつ、外していた。
それはまるで儀式の前に、必ずやっておかなければならない禊にも似た、ウィンリィだけが抱える決まりゴトだった。
「何?」
そう尋ねるけれども、エドワードの動きは止まらなかった。ウィンリィの髪を指先でひっきりなしに梳きながら、彼はウィンリィの頬や耳たぶ、そして唇、首筋へと、どんどん口付けていく。
鎖骨の辺りを強く吸われて、ウィンリィは軽く身をよじった。間髪いれずにエドワードは彼女の胸の膨らみに手を伸ばす。暗がりの中に触れてきた指が、形を確かめるように、布地の上からゆっくりと胸を揉み始める。
「ア……」
怯えるように喉元から小さく声をあげて、ウィンリィは身をすくめた。シャツのしたにもぐりこんだ彼の手が、じかに胸を弄り出す。それからシャツをたくしあげて、丸くたわわに実るウィンリィの両胸を露にさせる。
「…ぁ…ん…」
暗がりの下でも、彼が何をしているか、ウィンリィには手に取るように分かる。赤く熟れた舌先が、同じく熟れて実る自分の胸の先端を舐めとってしゃぶり始める。きゅうっと身をすくめながら、施される刺激に目を閉じる。
(待って)
蕩け始める意識の中で、ウィンリィはやっとのことで思い至る。ピアスを外さないと。意味はなくても、自分が意味づけたことなのだ。それがこの行為に甘んじる理由付けなのだから。
顔を胸に埋められて、彼が施す舌先と指の愛撫を受け止めながら、ウィンリィは濡れ出した意識をなんとか掻き集めて自分の左耳に手を添える。あまりに手馴れすぎた仕草で、ウィンリィはピアスの留め金を緩める。
手馴れすぎていた。それほどに、何度こういうことをしたのか、覚えてもいない。
ピアスを外す間だけ。
ウィンリィは心に刻み付けるようにそう呟きながら、広げた両腕をエドワードの首筋に絡ませる。強く強くしがみつく。
「ウィンリィ……」
胸元から耳元に唇を寄せた彼は、ウィンリィの首筋にキスを落としながら低く名前を呼ぶ。闇の中にぽつんと落ちるその声は高くもなく低すぎることもない響きで、ウィンリィの耳と心を濡らすようにくすぐった。
「……エド」
濡れた心に息苦しくなる。膨らんだ想いを少しでも吐き出すように、ウィンリィも名を呼んだ。こうしていつも名前を呼び合って、身体を重ねて、繋ぎあう。視線だけでは足りない。指先だけでも、手だけでも、唇だけでも足りない。お互いに「約束」めいた言葉は与えないけれども、その代わりなら全てを溶け合わせたかった。それがエドワードにするメンテナンスの続きだった。
いつものように織り成される、秘め事めいた交わりのはずだった。しかし、この日はいつもと違っているのだということを、二人は失念していた。いや、本当は分かっていたが、本当の意味で理解していなかった。
「兄さん?」
落ちてきた聞き覚えのある声と、ドアのノック音。
二人の動作は一瞬、完全に止まった。
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