そして、みな狂気の沙汰。
introduction
■鋼エドウィン&アル NovelsOnly /¥500
■仕様:A5版サイズ60頁/表紙1color
■本文:小説2段組/縦書き
■4部構成。

「おまじない、してあげよっか?」

―――頬に、熱が昇る。止められなかった。
(意味なんか、知らないくせに。知らないくせに。知らないくせに!)
 先にどんどん行ってしまう背中を、睨みつける。
悪態をつく。
知らないくせに、と。
呪文のように。
知らないはずだ。
だからあたしは唇にのせた。
秘密と言ったのはあたしだ。
そう言うことで、誤魔化せたと思ったのに。
深みに落ちないように、自分を守ったつもりだったのに。
(知らない、くせに)
 それでも、どうしようもなく、求めてしまう。
彼は知らないはずだけれども、彼のその行動に意味を求めたくなる。



■本文サンプル


(このクソガキ……っ)
 エドワードは苦虫を潰したような思いで、ウィンリィの隣に立つ子供をギリっと睨む。
「エド?」
 ウィンリィが不審そうに眉をしかめてこちらを見る。
「なによ、変な顔して」
「なんでもねーよッ!」
 座っていた丸椅子を蹴倒す勢いで立ち上がって、にんまり笑みを浮かべながら面白がっているパニーニャを尻目にオレはウィンリィの側につかつかと近寄る。
「エド?」
 なんなのよ、と口を開きかける彼女に有無を言わせない勢いで、しゃがんだウィンリィの腕を引っ張って立ち上がらせる。
「オレの番なんだろ! とっとと来い!」
「はぁ?」
 ぽかんと目を丸くするウィンリィを引っ張って、開け放たれた整備室にぐいっと彼女を押し込む。ウィンリィは不満げに頬を膨らませた。
「ちょっとぉ……! なんで客のアンタが仕切るのよ!」
「うるせ!」
 つべこべ言わずに仕事しろ、と言いながら、ウィンリィの後に続いて奥の部屋に入る。後ろ手にドアを閉めようとしながら、ひょいと背後に目をやれば、視界の下で子供と目が合った。合った瞬間、子供はぺろりと舌を出す。
(……こんの……クソガキ……)
 視界の片隅に、同じくにやけた顔のパニーニャもとらえて、オレはぐっとこらえる。覚えてやがれ。言葉で言えない代わりに、バタンと音を立ててドアを閉めてやった。

「こら! 乱暴にしない!」
 そんなに強く閉めたら壊れる! と、振り返った先にいるウィンリィは口を尖らせる。
「へーへー」
 適当かつぶっきらぼうに返事をして、彼女に示された椅子の上にどかりと座った。途端に、大仰なため息が頭の上に落ちてくる。
「なぁに怒ってるのよ?」
「怒ってねーよ!」
「怒ってるじゃない」
「だから、怒ってねーって!」
 言いながら、ふと何かが胸をかすめる。そうだ、オレは怒ってるわけじゃないはずだ。じゃあ何でこんなにむしゃくしゃしているんだ?
 ウィンリィは肩をすくめて、もう一度ため息をつく。
「腕。出して」
「ん」
 椅子の隣に配された肘掛に腕を置く。肘掛を挟むようにして、ウィンリィはオレの右隣に腰掛けた。
「何かあったの?」
 機械鎧にドライバーをあてはじめた彼女は、目線は機械鎧に向けたまま、口だけ開いた。
「別に」
 オレは睨むように、彼女の手元を見つめたまま、言葉を返す。しかし、心の中では、どこか腑に落ちないこの落ち着かなさと、胸をかすめた小さな疑問に、答えを見つけられずに苛々している。
(なんでだ)
 オレは考える。
(なんでこんなに苛々するんだ)
「エド」
 不意に呼ばれて、なんだよ、とオレは目線を僅かにあげる。あげたところで、カチリと音を立てるように、ウィンリィと目が合った。ひどく近いところに、彼女の顔がある。身体は前を向いたまま、首だけ横を向いて、機械鎧を挟んで向かい合う。
「……なんだよ」
 ウィンリィは何も言わずに怒ったように口を一文字に結んでオレを睨みつけてくる。しかし、見返してくるその目の表情は、怒っている顔をしている癖に、どこか泣きそうだった。オレの脳裏に、中央での事が一気に蘇る。今にもその顔がくしゃりと崩れるのでは、とオレは一瞬ひやりとする。
「だから! 何でもねーって…!」
 慌てて口を開く。
「ただ、あのクソガキがお前に……」
 しかし、言いかけて、絶句する。
(オレ、何言ってんだ……?)
 呆然として、オレは間抜けにも、ウィンリィの顔を穴が開くほど見つめてしまう。青い瞳は不審そうに揺れた。その下に、先ほど鮮やかな花を揺らせた彼女の頬がある。
「……お前にって? 何?」
「…………」
「何よ?」
 不安そうに揺れる目は、徐々に焦れたような色合いに変化する。不満そうに口を尖らせて、たぶん、次は怒り出すだろう。分かっているのに、頭がうまく働かない。なんでこんなに苛々するのか。なにを自分は言っているのか。
「ねぇ、な……」
 なによ、と言われる前に、身体をわずかに彼女の方に向く。驚いたように、彼女の青い目が丸く開かれるのを、スローモーションでも見ているような気持ちで眺めながら、オレの空いている左手は、何かに誘われるように彼女の頬へと伸ばされる。
 ウィンリィは、拒絶しなかった。

(やわらかい)

 左手に、ふわりと落ちる感触は、驚きという名の感情だった。淡い暖かみを帯びたそれが、ゆっくりと指先から体中に浸透し始める。
 目を丸くしたまま、ウィンリィが見返してくる。ぷにっとつねったそこは、あの子供が唇を落とした場所だった。跡があるわけではない。それでも、いてもたってもいられなくて、そこに触れる。
「な……に……?」
「ついてる」
「なに、が?」
 何も付いていない。跡なんか、あるわけが無い。自分がどうしてこんなことをしてしまうのか、オレは分からなかった。苛々してる。答えが見つからない。
 何も付いていない。仕方がないから、別のものをつくことにした。
「油」
「え」
 機械鎧に挿す油がついている。そう、言ってみた。
 不安そうな色を浮かべていた彼女の顔に、緩やかに熱が昇るのを、オレは真っ直ぐに見ている。何もついていない。いたたまれなくなって、誤魔化す。
「……変な顔」
 軽くつねった頬に、一気に朱が昇る。
「悪かったわねッ!」
「イテッ」
 誤魔化す代償は、頭にスパナ一発分。

「いてぇ……」
 オレはぽつんと呟く。ホント失礼ね! と怒る彼女は、もう既に、いつも通りだ。
 殴られた拍子にオレは手を離した。ウィンリィはスパナを持ったまま、右手で右頬を何度かこする。何もついていないのに。しかし、オレは何も言わなかった。誤魔化す代償なら支払済みだから、言わなくていい。執拗に自分の頬をこすって、こすっては自分の指を見て首をかしげるウィンリィを横目で見る。どうしてこんなことをしたのか分からなかった。正直、このままどこかに逃げ出したい。しかし、オレの腕は彼女に支配されたままだ。右腕を彼女に差し出して、オレはその横で整備を受ける。整備の間中、彼女はオレの右腕にぞっこん。逃げられない。
それっきり、オレとウィンリィは何も言わなくなる。頬をこするのをやめた彼女は、多少膨れっ面を浮かべたまま、オレの腕を再度いじり始める。感触の無い右腕に、彼女が触れている。感触が無いから、それがどういうことなのか、どういう感覚なのか、分からない。仕事の間、熱中する彼女の邪魔をしては悪いだろうと思いつつ、オレは彼女を横目で見ている。右腕を挟んで二人で並ぶ図。身体の一部をなくしてから、ずっと繰り返してきた図式のはずだ。これが、こいつとオレの距離。
触れた右手に、感触があるのはいいことだったのか。悪いことだったのか。分からない。


「部品の調達、……かなり、必要ね」
 機械鎧の外装を外した彼女は、メモを取りながらおもむろに口を開いた。相変わらず、オレを見ようとはしない。それが居心地が良くて、そして悪い。
「あたし、ちょっとそこまで、探しに行ってくるわ。それまで、適当に待ってていいわよ」
「おう」
 メモが終わったのか、彼女はメモを載せたボードを片手に立ち上がる。やけに口数が少ない自分。そして、彼女。なんであんなことしたんだ。その答えは見つからないまま、ようやく逃げ出せる。
 しかし、簡単には逃げ出せなかった。

 立ち上がったウィンリィは、オレを置いて、部屋の出口に向かう。きぃっと音を立てて、扉が押し開かれる音がした。オレはシャツを着ながら、背後からのその音をただ耳だけできいている。そして、オレの耳は、小さな彼女の呟きを、律儀にも拾ってしまう。

「嘘つき」

 何が、とオレはギクリとしつつ、振り向いた。振り向いた先に、扉の向こうに消える彼女の背中がある。扉は彼女の背中を飲み込んで、言い逃れを許さないとでもいいたげに、音を立てて閉まってしまった。
言い逃れを許されなかったオレは今、どんな顔をしている? 
答えは、全て、目の前にあった。
 




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