「感じないんじゃない……感じたくないだけだ」
―――誰とも知れない何かに、
エドワードは必死で言い訳を繰り返している気がしていた。
誤魔化し続けている気がした。
感じてないと誤魔化そうとして、
あの罪の匂いがする夢に言い訳している。
……あるいは、身体の無い弟に対して。
「お前に忘れさせたいんじゃない。……オレが、忘れたい、んだ」
だから、抱く。言い訳を繰り返すように。
■本文サンプル
夢を見た。
それはいつも密やかに横たわっていて、唐突に侵食を始める。油断できない。
油断できないのに、何かを言ってしまったような気がする。それにひやりとして、現実に醒める。
暖かな海の中を一人仰向けになって漂っているような、そんな揺りかごのようなまどろみから、エドワードはゆっくりと意識を取り戻し始める。
(気持ち悪い)
まどろみから覚め始めて、最初に落ちてきた感情。そして、何かが零れ落ちたような気がした。ひどく冷たい何かが。
エドワードは心臓をぎゅっと絞られたような感覚に落ちた。ひどく冷たいそれが、一体何なのかということを咄嗟に悟ってしまったからだ。反射的に、身体を起こす。それは駄目だ。意識して我慢しているわけではなかったが、エドワードはどうしたことか、それがひどくいけないことだと思っていた。弟に対する罪悪感かもしれなかった。しかし、それをはっきりと言ってしまうと、弟を傷つけてしまいそうで、だから言わないし見せないし流さない。状況が一番ひどいのは弟なのだ。だから、自分がこうして、夢を見ている場合ではないのだ。
「……エド?」
声の主が誰かわかって、エドワードはなおさらひやりとした。目をあければ、視界はすべて真横に横たわっていた。目の前にあるのは白いティーカップの壁面と、本の背表紙。頬に触れてくるのはざらついた木製のテーブルだ。記憶をたどるように反芻して、本を読んでいる間に寝てしまったのだという結論に至る。
身体を起こした拍子に、頬を冷たい何かが這った。零れるようなそれが何なのか、ようやく確信をもって理解する。そして、しまったと思った。まだ零れきっていないそれのせいで、視界はゆらゆらと揺れていて、そしてその真ん中に、彼女がいたからだ。
「ウィン……リィ……」
発した声はかすれた。カップを手にした彼女がテーブルの脇に立っている。
ウィンリィは、一瞬だけ驚いたように息を呑んだが、それは本当に一瞬のみのようだった。起こしてごめん、と彼女は小さい声で謝る。言いながら、手にしていたカップをことんとテーブルの上においた。
部屋の中はひどく静かだった。不意に、耳にカチカチと規則正しい音が届く。壁に目をやれば、掛け時計が無心に時を刻んでいる。秒針の音でさえ耳に届いてしまいそうなほどに静かな二十五時半だった。
「まだおきてるかな、って思ってたけれど、寝てたから。……そのまま、そっとしておこうとおもったんだけど」
あんた起きちゃったし、とウィンリィはとりとめもなく言葉を継いだ。まるで話題を無理に探しているように、視線がうろうろとあてもなく動く。
エドワードは指先で目を払う。左手に付着したそれをみて、一気に落胆する。
カップを持ったまま、立ち尽くしているウィンリィを、エドワードは見上げた。腰掛けている椅子がぎしっと軋む。
(見られた?)
探るように、彼女の表情を読もうとする前に、ウィンリィがじっと見返してきた。一瞬声もなく二人して見詰め合う。疑問は、確信へと形を変えていく。
(見られた)
ひやりとしたものが背を伝ったかと思うと、その次の瞬間、エドワードの中を巡ったのは別の感情だった。後悔、羞恥、……名前はこの際どうでもよいように思えた。
(どうする)
せりあがる緊張にも似た衝動に、エドワードは飲み込まれる。しかし、それに対して、ウィンリィのほうは全く動じた様子はなかった。……ように見えた。それでも、視線の動き、挙動ひとつひとつから垣間見える小さな彼女の動揺を、エドワードは敏感に嗅ぎ取る。 それが耐えられなかった。
「あたし、もう寝るね」
何事もなかったかのように、ウィンリィはそれだけ言うと扉に向かう。まだ湯気の立つカップをテーブルの上に残したまま、くるりと踵を返し、ドアノブに手をかける。まるでその場にいるのがいたたまれなくて、早く逃げ出したいとでも言わんばかりだった。それに、どうしたことか、エドワードは我慢ならなかった。
何かを誤魔化すかのように、エドワードは自嘲的に彼女に言ってしまう。
「……お前、何も訊かないんだな」