「雪男のファーストキスの相手ってさぁ……誰?」
唐突に脳天に落ちてきた質問に、
雪男は飲んでいたコーヒーをブフゥッと噴いた。
えーと、と一言置いて、
机に向かってペンを走らせていた雪男はくるりと振り向く。
「いきなり何言いだすの、兄さん」
寮の部屋はもちろん、雪男と燐の二人きりだ。
唐突な質問に心臓が一瞬跳ね上がったが、
そんな雪男を尻目に
燐は自分のベッドスペースに寝転がり、
コミックを読んでいる。
「なんとなく。聞きたくなったから」
視線をコミックから外そうとはせずに、
燐はさらに一枚ページを繰った。
「なんとなく?」
なんとなくにしては唐突だなぁ、と雪男は肩を竦める。
「なんとなくで妙な質問しないでよ」
咳払いをしてから、再び机に視線を戻そうとする。
これでも雪男は結構忙しいのだ。
今だって、祓魔塾の講義で行ったテストの採点中で、
兄の相手をしている暇などない。
だがしかし、だってよー、と燐は続けた。
「お前、なぁんか、うまいんだもん」
「はぁ?」
なにが?と雪男はさらに眉根を寄せた。
えー、と燐はわずかに口を尖らせて、
一瞬迷うように青い目を左右にきょろきょろと動かしたあと、
小さく唇を開く。
「は?」
雪男はまた首をかしげた。
机の上に、テスト用紙の採点に使っていた赤ペンをことんと置く。
「意味分からないよ、兄さん?」
しかし、そう言いながらも、雪男の胸内の鼓動は緩やかに高まり始めている。
椅子を立って、そばに寄ってきた雪男を
燐はちらりとねめつける。
「そのまんまの意味なんだけどな」
そのまんまの意味ねぇ、と
雪男は兄の言葉を復唱すると、
兄が横たわるベッドスペースの傍に腰を下ろした。
ベッド脇に肘をついて、頬杖しながら
兄の顔を覗き込む。
燐はコミックを手にしたまま、横目でちらりと雪男を盗み見た。
そこで、頬杖をつきながら真っ直ぐに自分を見ている
雪男の視線とが噛みあう。
雪男は何か試すような目つきで
静かに訊き返した。
「誰だと思う?」
自分で質問を投げたはずなのに、
燐は途端に後悔し始めていた。
……誰だと思う? だって。
その「誰か」がいるんだ。
雪男はため息をついた。
「そんな顔、しないでよ」
「……ど、ど、どんな顔だよッ」
ぷいっと燐は視線をそらす。
雪男が座る方向とは真逆のベッドスペースの壁側へ顔を向けた。
うーん、と雪男は頬をぽりぽりとかいた。
「困る顔」
「……別に、俺、困ってねーし!」
お前が、誰と最初にキスしてようが。別に。
違う違う、と雪男は首を振った。
「僕が困る顔」
あのね、と雪男は諭すように言葉を継いだ。
「そんな泣きそうな顔するくらいなら質問なんかしないでよ」
だって、と言う燐の声は声にならない。
「アクマ」
「え?」
「だから、最初の相手はアクマ」
「はっ!?」
雪男がぽつんと落してきた回答に、燐は目をまるくする。
なんだそれ、と思わず振り向いた。
再度、雪男と目が合う。
「むかーしの話だね。僕小さい頃から悪魔見えてたから。
悪魔の女に言い寄られて無理やりちゅーを奪われそうに……―」
そこまで言ってから、ふふっ、と目を細めて雪男は意地悪に笑った。
心底、良いものを見物できたとでもいいたげな笑みだ。
む、と燐は一瞬綻びかけた顔を慌てて引き締めた。
「冗談だよ」
冗談てお前!と口をパクパクさせた燐の身体の上に、
雪男はぐいと身を乗り出す。
「あ」
燐はもう一度目をまるくして、
小さく声をあげる。
構わずに、雪男は燐の上に覆いかぶさるように抱き寄せた。
「兄さんは?」
身体に腕を回して、
雪男は顔をぐいと近づけた。
「兄さんの最初の相手。誰?」
ほど近いところで、青の瞳がひと揺れしながら燐を射る。
お、俺は、と燐は息を呑んだ。
抱き寄せられて、全てを飲み込まれてしまいそうなほどに
視界の大半を雪男が占めている。
ゆるやかに心臓の音が大きくなっていって、
甘い眩暈を波のように漂わせはじめる。
燐はゆっくりと顔を傾けた。
雪男が目を閉じるのを見ながら、
自分も視界をゆっくりとシャットアウトする。
触れる寸前、雪男に告白する。
「最初も最期も、…おなじ、やつ」
そして、キスをする。
唇を離すと、雪男は至極満足そうな表情だった。
「うまいのは練習したからだと思うんだよね」
「練習?」
兄さんでね、と彼は付け加えた。
はっ、と目をパチクリ瞬かせた燐は
一拍の間を置いて、雪男の言葉に真っ赤になる。
いい言葉をきけたなぁ、とばかりに、
雪男の青の目はにやりと目を細めている。
いじわるな笑みを真っ直ぐに向けられて、
行き場を失った視線を彷徨わせるように燐は思わず目をそらした。
そんな真っ直ぐに笑われると、心臓もたねぇ、とひとりごちながら。
「で、お前は誰なんだよ」
はぐらかされた形になっているのをようやく思い出して、
燐は軽く彼を睨んだ。
僕?と雪男は笑った。
「僕も最初と最期もたぶん同じ」
燐の青の瞳がおどろいたようにきゅっと見開く。
右手を燐の腰に、
左手を燐の顎に。
身体を密着させて、雪男は顔を軽く傾けた。
己の身体の下で、きゅっと燐が身体を縮こませるのを確認して、
それがなんだか可愛いなと思いながらも口にはしない。
口にしないかわりに、唇をもらう。
軽く触れるだけのキスが終わると、
むくれたように顔を赤くした燐はひとこと、
「コーヒーの味がする」とだけ言った。
(END)
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2011.4.28
ただのちゅー話。燐が思いのほか乙女になってしまったー!